物理書籍がたまる
本が溜まるのである。風の便りに面白そうな本があらばすぐにポチるのである。しかも物理書籍が好きだ。いろいろな背表紙の本がならんでいるのを見ると自分が賢くなったような勘違いが手軽にできる。素晴らしい。ただその勘違いの代償として、生活スペースが次第に窮屈になってくるところが課題である。そういう意味でAmazonは生活空間を侵略する危険なサービスだ。
また、21世紀になってもまだ人間は働かなければならないので人生の可処分時間は少ないままである。それゆえたくさんの本を手にしているものの、読み進めることができない。その結果は、短い時間で懸命に理解しようとしてアタマが爆発するか、寝る間を惜しんで読もうとして目次で爆睡するかのおおよそ2つのパターンしかない。
そして本はなぜか捨てがたい。捨てるのもったいない。きっといつか読むはず(読まない)。暇になったら読もう(決して暇にならない)。
本へのこだわりは、古の昔、学校で「本を読みなさい」「本は大事」と言われて育ってきたところに原点がある。実際に本は面白かった。手軽なエンタメ・知識・知恵の塊であった。そういう昭和時代の体験、刷り込み、あるいは呪いが魂に沁み込んでいるのだろう。それはそれで悪くはない。
しかし、できればスムーズにたくさん本を読んでゆきたい。だれかうまい手を知っているハズだ。今は21世紀だ。解決方法が見つからないわけがない。
書籍「遅読家のための読書術」
本を減らすために本をポチってしまう矛盾。
「遅読家のための読書術」では多読・速読のために以下のようなポイントが述べられており(個人の感想です)目からウロコ感があった。
- みんな真面目に読み過ぎだ
- ため込まないで、音楽を聞き流すように読め
- 集中して読め
- 気に入った文章はメモしろ
- メモのリストをじっくり読み返して味わえ
- 音楽で言うところのサンプリングとリミックスだ
- とっとと次を読め
- 古い本はとっとと捨てろ
なるほどたしかに、社会的に広く同様の消費形態の変化はある。たとえばモノ消費からコト消費への変化、ショート動画、ファスト映画、頭サビなどの流行、そしていつの間にか昔の曲や映画の冗長さに退屈してきている自分もいる。
本を読む際も同様に、流し読み切る、一番面白いところを切り取る、以上終了、という意識の使い方ができるようにしておくことは必要だと思った次第。そう意味で電子書籍はコレクション的な要素を感じない分、流し読みには向いているかもしれない。
などど思いつつ今日も物理書籍をポチるのだ。
遅読家のための読書術
情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣
印南 敦史 著 ダイヤモンド社 2016年