既存権力の世界的な崩壊
2023年10月、イスラエルに対して武装勢力・ハマスが奇襲攻撃を行い、国家対非正規武装勢力の非対称な戦争がはじまった。3か月を経てなお国連は、有効な停戦決議が行えないでいる。多数の加盟国の様々な思惑や利益を一致させることは今後も難しいかもしれない。同じ時期、フランスやドイツ、イタリアでは極右政党が勢力を伸ばし、これまで政権を握っていた主流派政党は、彼らと取引をせざるを得ない状況に陥っている。日本においてもひとりの大学教授の告発から一挙に自民党の派閥解体の流れが発生した。週刊誌メディアのスクープにより芸能事務所が解体され、大物タレントが休業に追い込まれている。
2024年において、どんな権力にも安全な場所がなくなっていることは明らかだ。既存の大きな権力は、想定外の相手から想定外の種類の攻撃を受け、想定外の戦いを強いられている。
モイセス・ナイムが2013年に発表した権力の崩壊に関する本「権力の終焉」は、まさに現在の権力の混乱と崩壊に関して鋭い考察を行っており、現在でもなお面白い。
三つの『M』革命
権力が成立するための前提は、人々の生活において選択肢が少なく、権力に依存することが合理的な状態であることを維持しなければならない。上が下を支配する、いわば封建主義的なしくみが存在することが必要だ。
この前提は21世紀になって広く崩れ去ってしまった。その本質的な理由は、世界の人々が全体的に豊かになったこと、人々やカネや情報の移動コストが激減したこと、そしてこれらにより自分たちにとってよりよい選択肢を考えられるようになったこと、の3つの革命だと著者は論じている。
一つ目の革命は『豊かさ(More)革命』である。世界中の人々が押しなべて、生活のレベルが向上し、自由度が増加している。
人口が増えてその生活がより満たされると、彼らを厳しく統制し、管理することが困難になる。
いかなる領域においても、本来、権力の行使には国家、市場、選挙区、支持者、通商路などに支配を敷いて、それを維持する能力が必要だ。それらを構成する領域人々の数が増えて、彼らがそれまでより高度な手段や機能をより多く手に入れると、彼らをまとめ、管理することはより難しくなる。
人々の生活がより満たされて、不安や弱さをあまり感じなくなると、どのように支配を確立すればよいのだろうか?人間の選択肢が増えた世界では、どのように人々に影響を与え、その忠誠心に報いればよいのだろうか?おおむね良好な生活水準で暮らしている大勢の人間を支配し、組織化し、動員し、影響を与え、説得し、規範に従わせ、抑制するためには、小規模で開発されていないコミュニティで奏功する方法とは異なる手段が必要なのだ。
P102
二つ目は『移動(Mobility)革命』である。移動に関するコストが低下し、人々の自由意思に基づいた移動が可能になった。これは情報の取得やカネの移動についても同様である。
権力にはとらわれの聴衆が必要なのである。ほかの出口がほとんどない、あるいはまったくない状況に置かれた人々――市民、有権者、投資家、労働者、教区民、顧客など――には、自分たちの目の前にある機関の条件に同意する以外、選択の余地がないからだ。しかし境界を突破することが容易になり、当地または支配される人々が移動しやすくなれば、その領土に確立された組織にとって彼らを支配することが困難になる。
P111
三つ目は『意識(Mentality)革命』である。前より豊かに、自由に行動できるようになると、今より良い状態になりたい、そしてそれは何か、を追求することになる。
権力に対する意識革命の効果は、多種多様で複雑である。世界的な価値観の出現と強い憧れに駆り立てられた行動の増加という組み合わせは、権力の道徳的基盤に何より強力な挑戦を突き付ける。このふたつが、物事がこれまで通りである必要はない――もっとよい方法がどこかに何らかの形で必ず存在する――という考えを広めることになるからだ。それと同時に、権力への懐疑的な態度や不信を引き起こし、あらゆる権力の配分を当たり前のように受け入れることに抵抗を感じさせるようになる
p120
権力の崩壊した世界で起こること
政治的な権力が崩壊してゆく世界では、独裁的な政治は力を失い、より多数の意見が反映される民主主義政治に近づいてゆく。しかしこれは、より様々な意見をもつ人々へも力を与えてゆくことになる。
それらの中には地域分離主義、外国人敵視、移民排斥運動、宗教的原理主義なども含まれており、そのすべてが民主的とは限らない。あまつさえ、どれも権力の弱体化によって利益を得るものである。様々なアクターに対峙し弱体化してゆくなかで既存の政治権力は着地点を見失い、なにも実行できない膠着状態に陥ることになってゆくだろう。
軍事力が崩壊してゆく世界も混沌としている。国家の独占権であった軍事力は、今や、非国家主体である武装勢力や、ビジネスとして軍事行為を担う民間軍事会社がアクターとして力をもっている。また強大な火力とそれを支える兵站システムが戦果を決めるという思想はすでに有効性を失ってしまった。戦争の領域は国同士の国境線上にはなく、国境から離れた都市における非国家武装組織による爆破テロであり、インターネット上のインフラへの攻撃や、SNSによる世論操作などのこれまでなかった領域で力が行使されている。軍事領域の境界線はぼやけ、危険な競争時代へと突入している。
簡単に入手できる兵器、兵士と民間人および軍事技術と消費者向け技術の曖昧な境界、領土よりも資金や原材料やイデオロギーをめぐる紛争の増加――こうした要素が、戦争と安全保障の領域に超競争の下地を整えた。大政党や巨大産業・銀行のように、大規模な軍事機関もまた、従来の参入障壁前にしり込みしない新しい挑戦者たちに遭遇している。ペンタゴンのような大きな組織が、紛争解決に必要な手段や資源を独占していた時代は終わった。紛争に有効なスキルは、今や軍隊内の基礎訓練、士官学校や国防大学だけでなく、パキスタン北西の反政府キャンプ、イギリスのレスターにあるイスラム神学校、中国広州のコンピューター学校などでも習得することができるのだから。
P205
新しい権力とは?
世界中で既存の権力に対する挑戦が行われている。権力は力を行使するためにこれまでより多くの調整コストがかかることになるのみならず、場合によって目的とする成果が得られず失敗に終わることすらある。人々の生活がまた中世の封建時代に戻るようなことがない限り、これは破壊的で不可逆な変化だ。
では既存の権力に代わって、新しい権力は出現するのだろうか?果たしてそれはいったいどんなものなのであろうか?
残念ながら本書では新しい権力の在り方には触れられていない。
想像するに、新しい権力は価値や思想の多様性が増加した世界で、個々の価値感に対して影響を与える個別的な力と、それを統合する力の複合体となるであろう。
AmazonやFacebookの浸透したは、興味深いことに「テクノロジー封建主義」とも称されている。テクノロジーにより人々を支配する権力というイメージを表現しているのだろう。探索すると何か見えるだろうか?
権力の終焉
モイセス・ナイム
日経BP 2015年